今よりちょっと前、いつもながらバタバタせわしなく年末年始を乗り切って一息ついた頃の話。
俺について書かれたその記事を暇つぶしのネットサーフィン中に見つけて読んで思わずうなってしまった。
うーん
仕事柄事実と180°を超えるくらいの真逆を書かれるのは悲しいかなよくあることで(思うところは山ほどあるけど)凹みはしても笑って受け流す術も身に付けてる…はず。
だけど今回目にしたその記事っていうかブログは書き手もスポーツ新聞とかじゃなくて明らか(ていうかガキん時土曜の夜ゲラゲラ笑いながら見てた番組を作ってた人だ)で、その人は局ですれ違って挨拶したこともある有名な人で…ありゃ?このブログが書かれたのって今から半年もっと前だ。
指摘されて初めて考える。普段は当たり前すぎて意識する機会はあまりなかったけど……俺は今のスタイルを変えるべきなんだろうか。33年間俺が通してきたこのやり方を。
「いったいモニター睨みながらなに眉間に皺寄せてんのん?太一」
不意に背後からかかった声に背をびくり揺らす。 しまった、ここ楽屋だって忘れてた。
慌てて右上の×ボタンをクリック。 閉じた画面にちょっと息をついた。 ふぅ。
だけどその行動はいつの間にかパンフの個人撮影を終えて帰って来てたあの人にはどうやら挙動不審に見えたらしい…するりと近寄ってきたかと思ったらマウスを奪われあっという間にさっき見てたブログが表示された。
勝手になにすんだよって気持ちとあーあ、そんなあきらめ。 俺の制止は弱かったしメンバーの誰より早くからパソコンを使ってたこの人にかかったら俺なんかこどもレベルだからこの程度の小細工何にもならねえし。
「…ああ、これかぁ」
なんてこと考えてたからもうちょっとで俺はリーダーが納得、と言うように呟いた言葉を右から左にそのままスルーするところだった。
ぇ
「知ってたの、これ?リーダー!?」
だったらなんでもっと早く教えてくれないんだよ。
「やってや、ブログのタイトルにわざわざ『国分太一くん』ってフルネーム入っとるやん?ネットをこまめにチェックしてたらひっかかるって…ていうても最初は僕も全く偶然目にしたんやけどな、横澤さんが書かはったやつやろ?」
「…うん」
そのブログは俺に対し『箸は右手で持とうよ』と呼びかけるって形のタイトルで、メントレやゴチやなんかでの俺(の箸遣い)に触れたあと『ケツ拭く手で箸をもつのはいかがなものか…箸は右手で持とうよ』みたいに締めくくられてて。
「僕が教えんかったんは太一が気づいてなさそうやったことと、お前は別に知らんでもええ情報や、て判断したから。 一応事務所のネット系担当にそのブログの確認はしたし」
ちゃんと把握して動向はチェックしとったで?必要やって判断したら事務所が真っ先に抗議しよるやろ。
「…その判断はまず俺にさせてよ」
思わず恨みがましい目線と口調になる。
「そらスマンかったなぁ」
俺の不機嫌な表情を眺めながらちっとも悪いなんて思ってなさそうな口調で言ったリーダーはそのあとしばらく口を閉ざし、そいでから言葉を探すようにまた話し出した。
「あんな、この世界で仕事してる以上有ること無いこと書かれるんはもうしゃあないことやん?それにたしかにそんな記事ん中にも耳を傾けた方がええ鋭い意見が混ざってるときも極たまにやけどあるし…けどな、『これ』が横澤さんにとってほんまに太一に届けたいって思うメッセージなんやとしたら直接何らかの形で届けはると思うんよ、一般人と違ぉてその手段は持ったはるお人なんやし」
視線でモニタを指し示してるリーダーと腕組みしたまんまリーダーの言葉を聞いてる俺。 …たしかに言われて見りゃその通りなんだけど。
だけど、ついさっきこのブログをみつけたところな俺はすぐにはリーダーみたいに分析して上手く飲み込めない。
「…スタイル変えた方がいいと思う?」
ってかリーダーならどうする? とりあえず聞いてみる。面と向かっては言えなくてリーダーじゃなくブログが表示されたままなモニタを睨みながら。
「そんな必要あらへん思うけど」
返ってきたのは即答…なんでそんな即座に答えられんのさ。
「やって利き手変えるて大変なことやんか。こないだ右手ひねった時大事取れ言われて2、3日左手で食うたけどめっちゃストレス溜まったもん。そりゃ太一は映画ん時猛特訓しとったから右もある程度使えるんかも知れんけど、気ィ遣いながら右手で食うたって画面の向こうに美味しさなんて伝わらんのとちゃう?」
脳裏に遣いにくそうに左手で蕎麦をすするリーダーと、「なんでこんな時に限って蕎麦なんか頼むのさ。いつもより三割り増しぶきっちょなのに」とかなんとか言いながらかいがいしく世話を焼いてたひょろりとした弟分の姿が甦った。
たしかに俺が演じたのは『とりわけ古典を愛する落語家』だったから『古典に入れ込むんなら作法通り右を使うだろう』ってことで右手の所作は叩き込まれたし、リーダーの言ってることはもっともなのかもしれないけど…。
それでも硬い表情なまんまな俺を見て「やったらこれ見てみ?」苦笑しながらリーダーが操作した画面には。
ぇ?
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『好きで左利きに生まれたんじゃありません』
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『これって左利きの人間に対する差別発言じゃないんですか』
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『箸づかいなんて個性の領域の話なのにそこまで人に指図されたくはないんですけど』
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『太一くんはちゃんと右手でも箸を使えます。映画で落語家の所作を身につける為に要した彼の努力も知らないのに安易に批判しないで』
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『無理な矯正によって生じる弊害から現在は直さない考え方が主流のはずですが』
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「…」
現れたのはその横澤さんの記事に対して書き込まれたコメントの山。いったいどれだけあるんだってくらいの数の。
「な?みんなこの記事について自分の身に引き寄せて色々考えたはるし、太一に関してもちゃんとわかってくれたはるやん、やから…太一は太一で居ったらええんちゃう?」
「…」
一息いれよ……ほい、太一。
声に我に返って振り向いたらそこには俺がノートパソコンを置いてる机の角に行儀悪くちょんと腰掛け缶コーヒーを差し出してるリーダー。
いつの間に買いに行ってたのさ?
僕が教えんでもかまへんかな、思たもうひとつの理由がこれや、リーダーはそんな風に続ける。
有り難くあったかい缶のプルトップを開け、飲みながら食い入るようにコメントの続きを読む俺の耳に届くリーダーの声。 まるで異次元にでも迷い込んだみたいに不思議に誰も戻らない静かな空間の中ぽつんとふたり。
その中でその最初から最後までトーンの変わらない口調にざわざわしてた気持ちが少しずつ退いていく。
あっさり手のひらの上リーダーの思った通りに転がされてる感じは残るけど今はこの静かな時間と空間がもう少しだけ続けばいい、そんならしくないことを感じながら俺は画面のコメントにまた目を走らせた。
end.