『おはなみ』


はじめに気付いたのは玄関を開けた時の静かさだった。

「ただいまぁー」

いつもならとてとて走って出迎えてくれる彼の姿もなければ物音ひとつしない。

「出掛けてんのかな?」

せっかく暖かな日だから桜の下で『お花見ランチ』としゃれこもうかと思ったのに…
腕に撚りをかけた弁当を広げて。大食らいがふたりもいるからとたくさん仕入れてきた
食料が詰まった買い物袋が途端にずしっと掌に食い込んだ。


「ちぇっ」

急いで帰ってきた分落胆も大きくて肩を落とす。仕方なく大量の食品を冷蔵庫にしま
おうとのろのろキッチンへの扉を開けた俺はその光景に思わず見入った。


サンルームさながら日当たりの良さが売りのウチのリビングダイニング。窓際で
ジャズを抱いてじゅのんを枕に同じサイズに丸まって眠ってるちっちゃな影。
そして…雑誌片手に口の前、人差し指を翳しそのあどけない眠りを世界すべて
から守っている最強のガーディアン。

差し込む日差し、ラグの上に散らばるじゅのんの淡いベージュ、ジャズのグレーそし
て茂くんのココア色の髪。

俺は買い物を片付けると彼を起こしてしまわないよう気をつけながらそっとそばへと
歩み寄った。抜き足差し足な俺を見て兄ィが笑う…けどここで起こしたら間違いなく
殴られんじゃん。そんなのヤだよ。

「どーしてこんな状況になってんの」

ほとんど口の動きだけで聞く。

「朝からハイテンションだっただろ?じゅのんとジャズとじゃれててさ俺がちょっと
席外して戻って来たらもうこうだったんだよ」

まぁさっきから掌は熱かったけどな…そう分析しながら兄ィは茂くんの髪を梳く。
いいなぁー俺も。傍らに膝をついてそっと手を伸ばす。指に流れて逃げるサラサラ
の細い髪。
俺達の気配を感じたのか茂くんが身じろいで寝返りを打った。

「「!!」」

思わず手を髪に潜らせたままそれぞれフリーズする俺達…ふう、大丈夫みたいだ。
今度は仰向け。
頭が外れた時じゅのんがちらりと目を開けた。そうか頑張って枕になってたんだな、
けなげじゃん…しみじみしてる俺の目の前、こっちも『振り』だったらしいジャズも
緩んだ腕の中からそっと抜け出した。お前なぁ…その気遣いを俺にも示せって。

「おい、ジャズ!」

小声で呼んでも帰ってきやしねぇ……横で肩を震わせ笑ってる兄ィ。

「……どっちが飼い主だかねぇ」

余計なお世話だよ!

すぴーすぴーって寝息を立てて眠る茂くん。うっすら開いた口。ちょっと尖ったく
ちびる、ぷにぷにのほっぺた。

「つついて遊びたくなるよな、面白れぇ」

って、もうすでにつついてんじゃない!?やめてよ起きたらどうすんのよ!

「大丈夫だよ、ほら」

持ちあげた腕はパタリと落ちる…たしかにまだされるがまま、くにゃくにゃだけど
さ。

「あそうだ、ねぇ太一くんと長瀬は?」
「あぁお前が出掛けてすぐ招集かかって出てったよ、フットサルの。多分昼ぐらい
には戻るって」
「そっか…ならちょうどいいや。花見しねぇ?花見」
「ぉ、いいんじゃねぇ?ここで、だろ?」

窓の外、日当たりと共に自慢のウチの桜。
花びらの掃除、毛虫に落ち葉…と手間かけてくれるけど今の季節は文句なく綺麗だ。

「なら決まりだね。じゃあいそいで材料仕込んでくるわ。その前に…よっと、タオル
ケット。湯たんぽのジャズがいなくなって冷たそうだから」

手を伸ばしてソファーから取ったそれをそっと上からかける。茂くんのお気に入り、
クマさん模様のそれ。

「いつもながら万全だねぇ」

クスリと兄ィが笑うけどそれアンタだけには言われたかねぇよ。
暖かな日溜まりと眠る茂くんに後ろ髪を引かれながら俺は腰をあげた。


できるだけ静かに仕込んで用意が終わったのはほぼ30分後。これでよし、と。
出てるふたりもそろそろ帰る頃か…そう思いながら最後の仕上げ、リンゴのウサギ
を塩水にくぐらせたところでドアの開く音。
玄関開けたら『昼寝中!音たてないで』って大書きした紙がデカデカと貼ってある
から大丈夫だよな……そう思いながらできあがった料理を冷めた順、重箱に詰める。
いくら春先だからって油断しちゃだめだ。楽しい花見の顛末が腹痛…それは悲しい。

背後で静かに人の気配。
えーと、彩りで言ったらブロッコリの隣は玉子焼きの黄色か、いやプチトマトの赤
も捨てがたい…仕上げに集中していた俺の耳に飛び込んで来た感嘆の声。

「かわいいーーー」

それで潜めてるつもりなのかよお前、それじゃ起きるって!焦って振り返ると太一
くんが長瀬の頭をはたいた所だった。

「起きたらどーすんだよ!殺されっぞ山口くんに」
「ぁ、ごめんなさい…。けど大丈夫っすよ。あんだけぐっさんにガードされてたら」

…『あんだけ』ってさっきと体勢変わってんのか?手を止めそうになるからと見な
いようにしていた『お昼寝ペア』に目を向けて菜箸を思わず俺は取り落とした。

………ずりぃ…………………」

俺の低い呟きを聞き取った太一くんが確認を入れる。

「ぉ?ということは……これは松岡さん公認の体勢ではない、ということですね?」

そんな嬉々としてインタビュアーになんなよ。余計腹立たしくなるじゃん。


日溜まりの中いつの間にこんな形になったのか自分の体の上に茂くんをのっけて眠る
兄ィ。安心しきって大の字な彼の台になって目を閉じてる彼の額には玉の汗。
たしかに寝てるときの茂くんの体はアチアチだから、暑がりな兄ィにはまるで『腹の
上にカイロ』状態なんだろうけど。
ならそんな体勢で寝てんなよ………そんな『幸せ』を絵に描いた様な顔でさ。
互いの体温に深く眠るふたりは目を覚ます気配もねぇ。
俺が大車輪で働いてる間にアンタ達ときたら…………………………………(脱力)。

じっとふたりを覗き込んでた太一くんが口を開く。

「ラッコの親子みてぇ」

太一くん、その形容ナイス!

「ほんとだぁ〜〜〜〜」

茂くんに貝とかイカとか持たせたいよね〜、きっと超似合う〜!そう言って長瀬が
笑いだす。羨ましそうだな、お前。

「あ、俺携帯持ってこよ」
「あ、俺も俺も!」

写メール撮ろ!後でぐっさんに見せよーぜ?どんな顔すんのかな?超楽しみ〜。
そんなことを言いながら振り返った太一くんと長瀬はそこで初めてテーブルの上
に広がる花見弁当に気付いたらしい。

「うお〜うまそ〜〜〜!!!」
「何これ、超豪華じゃん……あ、そっか。『花見』?」

太一くんの言葉に頷きながらすかさず伸びてくる手をぺちんと叩く。肝心の『花見』
の前につまみ食いしてどうすんだよ!
声を潜めることを忘れた俺達の気配に気付いたのか茂くんがコシコシ目をこすったか
と思うとムクッと起き上がった。

「目ぇ覚めました?」
「お留守番ごくろうさん」
「汗かいてない?」

「………んーーーおあよー」

茂くんは俺達を見つけるとおひさまな笑顔で笑う。そして兄ィの体の上で180°
方向転換したと思ったら今度はちょっと前の「たれぱんだ」みたいに。

一度寝たらちっとやそっとでは起きない兄ィとは言え大丈夫かな、そんな事を心配
するくらい大胆な動き……………ホント、全幅の信頼を置かれてるのね、兄ィ。
俺だったらどうかな…寝てるのに手は茂くんが滑り落ちないように添えられてるの
を見ながらちょっと凹む。

けど。今日は俺にも武器があるから。

「ねぇ、茂くん今日これからお花見しよっか?」

ちゃんと弁当作ったのよ?そう言いながら三段のお重を掲げて見せる。

「わぁ〜〜しゅごい!しゅごいやん、まちゅおか!!!」

でしょでしょ?

「りんごのうしゃぎしゃんおる?」
「おう!リンゴのうさぎもタコさんどころかイカさんウインナーもあるぜ。それに…
松岡特製出し巻き玉子スペシャル!」

満面な笑顔で無邪気に拍手してくれる彼に俄然やる気が漲ってきた。

「じゃぁ、全部詰めちゃうから長瀬はシート持ってきて。太一くんは飲み物クーラー
ボックスに入れて庭先いつもみたいにセットしてくれる?」

頷いて動き出したふたりを眺めながら茂くんがじーっとこっちを見てる。

「なーなーまちゅおかぁ、僕は?」

あぁ、そういうことね。ここで『何もしなくていいよ』なんて言ったらヘソ曲げる
んだろうなぁ……そうだ。

「茂くんには一番難しい仕事を頼んでもいい?」

『難しい仕事』に反応してきらきら目を輝かせる茂くんは文句無く可愛い。

「なん?」

首をかしげて指示を待つ彼に俺はこっそりあることを耳打ちした。

「うん、わかった」

指示だけだしたら避難避難。そしてカウント『5・4・3・2・1…キュー』

「なぁたつや、たつ、たつ……って、なぁ起きいや。なぁお花見しよ?お花見!」

遠慮なくゆっさゆっさ揺さぶっても目を開けない兄ィ…それも腹の上にどっかりの
っかられてんのに。
兄ィのほっぺたをちっちゃな掌でぺちぺち叩いてる茂くん…それは俺等には出来ねぇ
高等技術だわ。寝起き最悪の兄ィ。実害なく起こすのは至難の技……それが可能なの
は茂くんだけだね、やっぱり。

「……ん…んんー?しげ?」

ほら。俺等が起こして『あれ』はありえねえ絶対。
茂くんを見て超綺麗に笑う兄ィに俺は自分の判断が正しかった事を知った。

「おあよー、目ぇ覚めた?まぼが花見弁当作ってくれてん。早よ起きてみんなで食
べよ?お花見やで〜」

そう言いながら兄ィの手を引っ張る茂くんに庭で用意してくれてた長瀬と太一くん
から声がかかる。

「こっちはOKっす、そっちも用意できました?」
「なんだよまだそんな格好してんの?汗冷えるじゃん。着替えて…つぅかこの際もう
シャワー浴びて来れば?一緒に」

そこの親子ラッコでさ。

「なんだよその親子ラッコって?」

兄ィが茂くんを上にのっけたまんま起き上がった、すげぇ腹筋。

「じゃじゃ〜ん」

長瀬が得意げに写メールを差し出した。

「…お?」
「なんなん?わ、僕こんなカッコで寝てたん?」

不思議そうに見詰める彼の透き通ったキャラメル色の目。

「ラッコの親子って言われてもこれなら納得でしょ?」

兄ィは額の汗を掌で拭う。

「それであんな夢見たのか…」
「夢?」

湯たんぽ抱いてる夢見てた…そう言いながら立ち上がった兄ィは茂くんをそのまま
抱き上げ、ひょいっと肩車。茂くんもニッコ二コの笑顔で足をばたつかせてる。

「5分」
「………え?」
「5分で戻るからしげの着替えよろしく〜」
「まっててなぁ〜〜〜」

「ぇ?あ、行ってらっしゃい」

風呂場へと消えていくふたりの無言のコンビネーションに呆気にとられながら、俺は
茂くんの着替えを用意するべく動き出した。

負けるもんか、こっちには特製花見弁当が付いてるんだから!
そんなことを思いながら。

                           end.

                       




格納庫
top